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Archive for 3月, 2017

[BookReview] 日本的組織ではなぜ上級幹部は愚劣な意思決定を繰り返してしまうのか:(再読) 池田信夫『「空気」の構造』

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▼Week12-#01:池田信夫『「空気」の構造 – 日本人はなぜ決められないのか』(白水社, 2013年)

感想:★★★★★
読了:2017/03/25(再読)

バタバタしてしまったので当初予定していた論文を置いて、3年ほど前に一度読んだことのあるやや読みやすめの本を再読。とはいっても、ここ最近の自分自身の問題意識からバイネームで書名が念頭に挙がっていて読み返したかった本でもあります。

本書は、サブタイトルにあるように「日本人はなぜ決められないのか」ということをテーマに、有名な「日本人論」を参照しながら日本的組織の特徴を論じた書籍。そういった意味では、本書中でも取り上げられる『失敗の本質』と同様、組織人として得るものが多い本です。冒頭で「これまでの日本人論は学問的な根拠のない印象論が多いので、本書では経済学や歴史学の成果を応用して、なるべく学問的に考えてみたい」(池田『「空気」の構造』p.11)と著者も述べているように、過去の目立った文献を縦横無尽に行き来する読み応えのある書籍です。

中村伊知哉氏はその書評(リンク)の冒頭、本書の帯に踊る「社員は優秀なのに経営者が無能!?」というコピーに触れるところから始めていますが、このコピーは中村氏の言うとおり営業用コピーであるとともに、本書の中盤、『失敗の本質』を引いた章にある次の一節に対応しているように思います。

1939年にノモンハンで関東軍と旧ソ連軍が戦って日本軍が惨敗したとき、ソ連軍指揮官のジューコフ将軍は、日本軍について「下士官兵は優秀、下級将校は普通、上級幹部は愚劣」と評し、これが日本軍についての評価の定番となった。(同, p.144)

本書は、日本的組織では「上級幹部(トップマネジメント)」がなぜ「愚劣」な意思決定を繰り返してしまうのかを論じたものといえます。論じられている枠組みを端折ると以下のようになります。

  1. 人類の規範の「最古層」には、「集団淘汰」のメカニズムが存在する。これは「個体群の中では利己的な個体が利他的な個体に勝つが、利他的な集団は利己的な集団に勝つ」(p.195)というものだ。人類の200万年の歴史の内、新石器時代に入る1万年前以前の大半は狩猟採集社会を生きていた時代であり、この時代の行動規範にあったはずの「プリミティブな平等主義」(p.210)は遺伝的な感情として残っていよう。
  2. 定住・農耕社会に至り、「最古層=プリミティブな平等主義」の上に「古層」が沈殿する。日本においては、地理的な特殊性から「気候や水に恵まれて豊かで対外的な戦争がなく、同質的な人々が一つの村で一生すごす安定したコミュニティが数千年にわたって維持された」(p.49)。ゲーム理論(囚人のジレンマ)からも明らかなように、こういった「特定の集団の中でインサイダーだけを信頼する『安心社会』…では長期的関係(彼〔=山岸俊男〕のいうコミットメント関係)のある相手だけを信頼する」(p.45)。結果として、同調圧力や排他的システム(=「空気」)が強化される。
  3. この同調圧力の強さはコミュニティ内部の紐帯を強化する一方、組織の目的意識の欠如という状況を生んでしまう。これには、上記のとおり大きな戦争に巻き込まれたことがなく「目的」を意識しなくてはならない事態の経験が少なかったことや、キリスト教的な時間意識(天地創造の日から最後の審判の日まで直線的に流れる物語のなかで、そのゴール=神の国における救済に向けた目的意識が働く)に相当するようなものがなかったためでもある。
  4. これらの結果、全員が長期的な関係に結びついたコミュニティは「多数決ではなく全員一致」(p.105)になりがちであり、リーダーシップは下位階層からボトムアップであがってきたものの「調整型」となる。そこでは目的よりも「組織内の人間関係が重視され、面子や前例主義がはびこり、組織が自己の存続のために『自転』する」(p.60)。

本書中では、この1~4を表層から古層、最古層へと掘り進める形で(つまり4~1の順で)探り当てていきます。ここで重要になってくるキーワードは「水利構造」・「逆エージェンシー問題」と、「下克上」です。

前者の「水利構造」と「逆エージェンシー問題」についての詳細は同書 p.49と p.108の明解な図を参照されたいところですが、農村における用水組合の上流・下流構造と、株主よりも従業員共同体の利益を守ることに傾きがちな日本企業の経営とに相似を見出します。

日本の農村の水利構造においては、下流の村が決定権を持ち、それらを調整する形で上流の意思決定がなされていくとされ、皇帝=上流が集中的に水利権を持っている中国型とは全く異なります。この構造は同様に「水利構造における上流:下流=企業経営における株主:社内経営者=企業内部における経営者:労働者」といった比例関係になり、本来は「株主=プリンシパル(依頼人)、経営者=エージェント(代理人)」であるはずのものが、「経営者=プリンシパル、株主=資本を提供するだけのエージェント」となってしまっていると著者は見ます。

日本の組織では … 現場で決定と実行が行われ、全体を統括する決定者がいない。形式的にはいるが、現場から上がってきた決定を追認するだけの「みこし」になっている。(略)天皇制に代表される日本型デモクラシーは、決定が現場に近いので小さな変化に柔軟に対応できる反面、現場を削減するような大きな意思決定ができない。(p.108)

この部分は上記の枠組みのうちの2~4に当たるのですが、もうひとつのキーワードとなる「下克上」の淵源を「最古層」たる「プリミティブな平等主義」に求めることで1と2とをつなぎます。

… 日本は大きな戦争を知らないまま近代化し、その「平和ボケ」の体質が今も残っている。民族が絶滅されるとか他民族の植民地にされる過酷な体験を知らないため、国全体を守るリーダーが生まれず、ローカルな「部落の平和」が最優先され、その利害調整の結果として国家の政策が決まる。西洋でも中国でも、自然発生的な「古層」の上に意識的な権力機構が構築されたのだが、日本では何となく強い大名が勝つという形で事実上の権力者が決まり、江戸時代まで全国の支配者がいなかった。(p.208)

前述の「地理的特殊性」は長期的関係が前提となったコミュニティを生むとともに、強いリーダーシップが不要な環境をも生んでしまったということでしょう。そのため階層構造が権力構造になることを「プリミティブな平等主義」観念が拒み、「下克上」という形をとります。

この「下克上」のメンタリティは、例えば「外国人と一緒に仕事をして感じるのは、彼らは『命令されないと動かない』のに対して、日本人は『命令されるのをいやがる』」(p.178)という形で遍在します。このあたりは、與那覇潤氏の『中国化する日本』でも語られていたように思います。

以下、考えたことや、あとで考え直すためのメモ。

  • 企業経営の実際の中で、「ボトムアップ」や「全員一致」という形式を重視する傾向はしばしば見られる。また、それは裏返すと「誰も決めないシステムでは、全員が自分で決めたような参加感をもつのでモチベーションが高まる」(p.157、強調部引用者)ということでもあり、残念なことにモチベーションと目的意識や責任意識とがトレードオフということになってしまっている。歴史的・風土的な宿命論とせずに、これを超克する方法なり仕組みを考えなくてはならない。
  • 企業における「経営/現場」間の意思決定の逆転のケースは見知っていたことでもあるが、上記の「逆エージェンシー問題」にあるように「株主/経営」間でも意思決定の逆転が起きていることについても、無意識であったが思い当たる部分も多い。
  • 本書では「日本型デモクラシー」一般のみならず、日本「企業」の組織や雇用のあり方についてもさまざまに触れている。「年功序列」(p.70-1、p.180-1)を含む労使関係に関する記述は、第5週に読んだ『MBAのための日本経営史』での解説もあわせて確認しておきたい。
  • 「日本的経営」の評価については、下記の箇所は非常にフェアだと感じた。
    • … 「日本的経営はなぜこんなにすぐれているのか」という問いは間違いで、「日本企業はなぜ自動車や家電に強いのか」と問うのが正しい。日本企業が強いのは「2.5次産業」と呼ばれる知識集約的な製造業だけだが、それがたまたま70~80年代に花形産業になり、また自動車やテレビなどの規格が標準化されていて世界市場が成立したために、「日本の奇蹟」と見えたのだ。(p.165)
  • 他の書物でもしばしばそう評されているように、本書でも東條英機は「小心で凡庸なサラリーマン」(p.153)と評される。彼のパーソナリティ然り、昇進をしていくプロセスもまさにそうなのであるが、つまるところ「東條英機的」マネージメントは、単に個人の資質や戦時報道ばかりならず日本的組織が生み出した帰結でもあり、こうした「調整型」人物がプロモーションしやすい環境がある以上は同様のマネージメントが再生産されうるということに、日本企業(組織)は意識的になる必要があろう。
    • 東條のもう一つの特徴は、手続き論への異常なこだわりだった。他人を論理で説得することが苦手な分、形式的な法律論で相手をねじ伏せようとする。皇道派を追放した陸軍では下克上への警戒が強まり、上の命令を忠実に守って反抗しない東條のような軍人が模範とされたのだ。こうして人望も能力もない東條が「消去法」で、するすると陸相になった。彼は石原〔莞爾〕とは違って調整型で敵が少なく、周りが警戒心を抱かなかったことも幸いした。(p.154)
  • この「空気」なるものを探り合う営為の結果のひとつが、ここ最近話題になっている「忖度」であろう。外国人記者クラブの会見で通訳がこの語の翻訳に難渋したのも、実に日本的な精神構造に根ざしたものであるゆえだ。前述のように「誰も決めないシステム」内での事象であるため、例の事案も真偽は実際どうであったかは別として、「忖度」がなかったということを立証することは「悪魔の証明」だ。

Written by shungoarai

3月 26th, 2017 at 1:00 am

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[BookReview] 新藤晴臣『アントレプレナーの戦略論』

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▼Week11-#01:新藤晴臣『アントレプレナーの戦略論 – 事業コンセプトの想像と展開』(中央経済社, 2015年)

感想:★★★☆☆
読了:2017/03/17

2冊続いたファイナンス関連を離れてアントレプレナーシップに関する書籍に戻りました。大阪市立大学大学院(アントレプレナーシップ研究分野)准教授による『アントレプレナーの戦略論』は、大企業に関する研究をもとに発展した経営戦略論の新興企業への適用をテーマとして書かれた本。

アントレプレナーが〔大企業の研究に基づいて開発され、実践への適用事例としても大企業のものが多い〕経営戦略論を実践に適用しようとした場合、かなりの労力と(自己流に近い)解釈が必要」(新藤『アントレプレナーの戦略論』ii)という課題意識から書かれているので、巷間に広まっている有名なフレームワーク(3C、4P、PPM、SWOT、5フォースなど)をどのように使いこなすかを平易に書いたものでもあり、これらのフレームワークについてある程度知識がある人であれば読み飛ばしてスピーディに読めると思います。

それらの環境分析や経営戦略のフレームワークを用いたうえで、本書では、D.F. エーベル(『事業の定義』)の議論などに基づく「事業コンセプト」にまとめ、組織内外のプレイヤーと事業定義に関する認識合わせ(ドメイン・コンセンサス)がされることが重要だと説かれます。「事業コンセプト」は「自社は何屋さんであるか」であり、①顧客=Who、②顧客機能=What、③代替技術=Howの軸で整理されるとしています。

以下メモ。

  • 本書の企図に反して、第3章以降の「実践適用」に関するパートよりも、これまで経済学・経営学でいかにアントレプレナー(あるいはアントレプレナーシップ)が扱われてきたかを概観した第1〜2章がよくまとまっていて参考図書リストとしてよいと思った。
  • ことイノベーションに関してよく引き合いに出されるJ. シュンペーターに加えて、I. カーズナーを持ってきて比較している箇所は面白かった。「アントレプレナーの本質的な役割について、シュンペーターは『不均衡をつくり出す勢力』ととらえ、革新によって変化を引き起こすとしている。一方カーズナーは、『均衡をつくり出す勢力』ととらえ、変化の発生を認識し、それに反応する存在と説明している」(同書, p.8)。この枠組みは、他の研究者の成果を引用しながら後半でも現れる。新興企業の成長ステージを3つに分けたとき、「〔不連続な変革が行われる〕①スタートアップ期と③安定期には『シュンペーター型』のアントレプレナーシップが、〔漸進的な変革が行われる〕②成長期には『カーズナー型』のアントレプレナーシップが、それぞれ出現すると論じられている」(同書, p.193)。これは、新興企業のめまぐるしく変わる事業フェーズもしくは経営フェーズによって、どのようなマネジメントが必要とされるかという議論とも対応している。
  • 各章の章末には、それぞれの章で述べられたフレームワークの実践適用事例として著者の関わったケースの紹介がある。興味深いものもあるが全体的には物足りない印象(外部環境のリスク認識や、自社の強みに関する自己認識の面での甘さや、プライシング決定に関する唐突感など)。逆に考えると、事業に直接携わる人物が事業計画を作ると、このように死角が生まれがちだということを教えてくれ意味で、とても参考になるかもしれない。3Cに関する説明箇所で書かれるように、「アントレプレナーシップを実行する経営戦略では、前述の3つのプレーヤーのうち、自社(Company)が最も重要な要素となる。アントレプレナーシップを実行する新興企業では、自社を規定するところから経営戦略がはじまるからである」(同書, p.103)という点については同感だが、自社(Company)の能力や事業機会は外部とのきわめて相対的な関係から決まるものだ。
  • アントレプレナーシップについて論じる際、どの程度の規模の事業に育てることをそもそものゴールとしているかという視点を欠くと、理論的にも実践的にも的外れになってしまう懸念があることは注意したい。しかし同時にこれは、「アントレプレナー」や「スタートアップ」をいかに定義するかということでもあり、なかなかに微妙な問題を孕んでいる(例えば、クラウドファンディングで集めた資金で「海の家」を作ろうとする事業は「スタートアップ」と呼んで適切か、など。おそらくは、何らかの「技術的な解決」をともなった事業でなければ、経済学的な意味合いでの「アントレプレナー」とは呼びにくいのだと思う)。

▼アントレプレナーシップに関する読書リスト

No.読了日評価書名著者名
12017/01/10★★★★☆『イノベーションと企業家精神【エッセンシャル版】』P.F.ドラッカー
22017/02/11★★★★☆『ソーシャル・エンタープライズ論』鈴木良隆 (編)
32017/03/04★★★☆☆『アントレプレナーシップ入門』忽那憲治, 長谷川博和, 高橋徳行, 五十嵐伸吾, 山田仁一郎
42017/03/17★★★☆☆『アントレプレナーの戦略論』新藤晴臣

Written by shungoarai

3月 18th, 2017 at 11:40 am

[BookReview] 宮増浩『管理会計 実践入門』、石野雄一『道具としてのファイナンス』

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▼Week10-#01:宮増浩『管理会計 実践入門』(日本実業出版社, 2012年)

感想:★★★☆☆
読了:2017/03/09

▼Week10-#02:石野雄一『道具としてのファイナンス』(日本実業出版社, 2005年)

感想:★★★★☆
読了:2017/03/13

2017年第10週は、ファイナンス関連で2冊の入門書を読みました。実務ではファイナンスもアカウンティングも司ってはいるものの、すべて必要に迫られて実務で覚えてきたものであるので、基礎から体系だって学んだことはなく、かといってブリーリー&マイヤーズによる有名すぎる教科書『コーポレート・ファイナンス』にいきなり手を付けるのも日和ってしまい、まずは簡単な書物で概要を押さえてから、と考えました。この2冊はともに日本実業出版社の書籍ですが、同社のファイナンス関連の書籍のラインナップには、数年前に読んだ磯崎哲也さんの『起業のファイナンス』もあったりして、それもあって信頼が置ける気がしました。

1冊目の宮増浩『管理会計 実践入門』は、会計実務に関する本というよりは、企業のCFOやCFOオフィスのスタッフがどのように事業の数字(書中の言葉では「非財務情報」)を扱っていくかに重点が置かれている印象です。

ゆえに、(特に)大企業での中計の策定に関わったり、そこで決めた数字をどうやって現実的な施策へと落とし込んでいくかということに悩んだりしたことのある多くの経営企画・経理部門スタッフには馴染みのあるテーマだと思います。「短期実施計画の最大の特徴は、経営管理プロセスのなかで、もっとも大きな財務・非財務情報間の非整合が生じ、それを整合させるために大きな資源をつぎ込まなければならないことです」(宮増『管理会計 実践入門』pp. 88-9)といった記述は、実施計画を作るために連日夜中から会議をして…という経験を持つ方にはとても納得できる部分かと思います。

この書籍の優れたところは会計実務に寄りかかっていないところで、むしろ経営管理を行う立場の者がいかに事業サイドの数字を理解し、そこに想像力を働かせるかという意識で書かれている点だという印象です。

2冊目の石野雄一『道具としてのファイナンス』は、米国のビジネススクールでファイナンスを学んだ銀行出身の財務戦略コンサルタントによるファイナンスの入門書。私自身の関心がコーポレート・ファイナンスにあったので本書の前の方の「証券投資に関する理論」(第2章)はそっくりそのまま読み飛ばしてしまいましたが、後段の「デリバティブの理論と実践的知識」(第6章)などもワラントや転換社債による資金調達などに触れられていて、要は投資の理論(供給サイドの理論)は需要サイドの理論の裏返しでもあるとするなら、読み飛ばすべきではなかったのかもしれません。

一読しただけではもちろん半分も理解していないとは思うものの、どういったところを考えるべきかという地図を示してくれるような本です。ザッと巻末まで目を通した上で、この本でせっかくExcelを用いた複雑な計算について解説されたばかりだから、何かしら練習問題を解くことで定着させたいなどと思っていると、やはり同じことを考えるもののようで、「問題集」が出ているようです。

Written by shungoarai

3月 14th, 2017 at 12:20 am

[BookReview] 忽那憲治 他『アントレプレナーシップ入門』

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▼Week09-#02:忽那憲治, 長谷川博和, 高橋徳行, 五十嵐伸吾, 山田仁一郎『アントレプレナーシップ入門 – ベンチャーの創造を学ぶ』(有斐閣, 2013年)

感想:★★★☆☆
読了:2017/03/04

今週の課題図書を早めに読み終えたので、第9週の2冊目として、手短に読めそうな1冊を前倒しで読みました。第2週に読んだ『イノベーションと企業家精神』や第6週の『ソーシャル・エンタプライズ論』以来のアントレプレーナーシップ関連のテーマの本。

本書は、冒頭の「はしがき」にも書かれているように、高校を卒業したての学部学生に向けたアントレプレナーシップの教科書。とはいえ、「新奇性が高いものを創造しようと思えば、単に専門力を深めるだけでは不十分で、専門力と同時に総合力が問われる。アントレプレナーシップとはまさにそうした性格を持った学問である」(忽那 他『アントレプレナーシップ入門』, i)とあるように、ややもすると専門化してしまいがちな職業人にとっても開眼させられる内容です。ここで言われる「総合力」たるものを育てることこそが教養教育(リベラルアーツ)であって、そういう意味で、この本が高校を卒業したての学生をターゲットとしているのは非常に納得がいきます。

本書の構成は、起業を思いつくアントレプレナーがいかなることをしなくてはならないかを、事業機会を見つける段階からビジネスモデルを構築して、チームを作り、資金調達をして… という順を追って概説します。「日本のスタートアップ企業では、事業機会の評価をすること、あるいは事業機会が存在するかについて検証することさえ行わない例が多く見られる」(同書, p.39)や、「自分の発案したアイデアがどのようにすばらしいかをアピールするあまりに、自らのアイデアに固執しすぎてしまうアントレプレナーが多い」(同書, p.53)という記述には心当たりがとてもあります。教養教育課程の学生に限らず、起業を志向する方がプロセスを学び、かつ、いかなる陥穽があるかを把握するためにもよい書物です。ベンチャー企業で経営企画部門を担う身としては、目新しいといった内容はないものの、よくまとまっているので頭が整理されました。以下、その他メモ。

  • その他、潜在顧客を考えるための「共感図(empathy map)」法や、ブレインストーミングの際に発想を発散させるための「オズボーンの9つのチェックリスト」など使いやすそうな思考のフレームワークが折に触れて紹介されているのも簡潔で実用的。
  • クリステンセン 他『イノベーションのDNA』から紹介をされている箇所であるが、「イノベータDNA」モデルは非常にわかりやすい。「彼らの研究によれば、破壊的イノベータは、一見、無関係に見える問題やアイデアを結びつけて、新しい方向性を見出すことができるという認知的スキルである『関連づけ思考』を働かせている。また、この関連づけ思考を誘発するために、質問力、観察力、ネットワーク力、実験力という4つの行動的スキルをフルに活用している」(同書, pp.14-5)
  • 読書リストが各章末にまとまっているのも○。

▼アントレプレナーシップに関する読書リスト

No.読了日評価書名著者名
12017/01/10★★★★☆『イノベーションと企業家精神【エッセンシャル版】』P.F.ドラッカー
22017/02/11★★★★☆『ソーシャル・エンタープライズ論』鈴木良隆 (編)
32017/03/04★★★☆☆『アントレプレナーシップ入門』忽那憲治, 長谷川博和, 高橋徳行, 五十嵐伸吾, 山田仁一郎
42017/03/17★★★☆☆『アントレプレナーの戦略論』新藤晴臣

Written by shungoarai

3月 5th, 2017 at 9:30 am

[BookReview] スタウス 他『サービス・サイエンスの展開』

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▼Week08-#01:ベルンド・スタウス 他編『サービス・サイエンスの展開 – その基礎、課題から将来展望まで』(生産性出版)

感想:★★★☆☆
読了:2017/03/03

第9週の課題図書は、先々週先週の課題図書に引き続きサービス産業に関するテーマの書物。ゼロ年代前半にサービス・イノベーションを体系化することが叫ばれ、IBMがSSME(Service Science, Management, Engineering)というサービス・イノベーションへのパースペクティブを主唱するなか、2006年4月に開催されたドイツ初のサービス・サイエンスに関する国際会議での発表をまとめたものが本書。

学会発表ということもあってかきちんとまとまった論文というよりは論点提示に留まって議論が端折られていたり、あるいは生煮えの部分なども多いと感じましたが、そういった点も含め、新たな学問分野の立ち上がりに際して研究者が試行錯誤しているような息吹が伝わってくるような一冊です。

序章における最も簡潔な定義によれば「サービス・サイエンスは新しい科学的な概念として定義され、その目的は学会とサービス企業との集中的な協力関係のなかで、学際的なアプローチを適用することによって、サービス経済の複雑な諸問題の解決を目指すものである」(スタウス 他『サービス・サイエンスの展開』p.5)。また、別の箇所では「サービス・サイエンティストが行うべきことは、サービス・システムを研究し、サービス・システムを改善し、そして、サービス・システムを拡大することである」(ジム・スボラー「サービス・サイエンス、マネジメント、エンジニアリング(SSME)と他の学問領域との関連」同書, p.49)とし、「サービス・サイエンス」に「人々やテクノロジー、他の内部および外部サービス・システム、および(言語や法のような)共有情報からなる価値の共同生産構造」(同, p.47)という定義を与えています。

こういった考え方に基づいて、従来の学問との距離感覚(重複や差異)や企業と学問の府とがいかに協働しうるかといった点をさまざまな角度から語られています。

以下、メモ。

  • 先週・先々週に読んだサービスに関する概説書のなかでさまざまに触れられていた「サービスと物財との差異」については一通りの認識を持ちながら読み進めていったなかで、以下のような記述にぶつかって、学究的な姿勢の厳密さにハッとする。「行為者と参加者を巻き込むこのプロセスを取り上げることは、サービス・サイエンスにとって、明確で関連性のある焦点をもつことになる。加えて、革新的で複雑な問題を取り扱うには学際的な分析を必要とするであろう。したがって、この見方は将来性のある選択となる。ただ、この見方は経済的な変化を取り上げているのであって、サービスそのものを対象としているのではないことを忘れてはならない」(ベルンド・スタウス「サービス研究の国際的現状、発展、およびサービス・サイエンスが登場した意義」同書, p.91)
  • サービス産業の経済に占めるポーションが大きくなり、なおかつ従来型の製造業の企業内においても事業におけるサービス領域が大きくなっているという現状から、サービスにおけるイノベーションを体系的に創出することに対する切迫感が全体を通じてある。国単位での産業振興ということを考える時、産学や産学官での協働が重要であるが、一方、これらの協働を奏功させるためには各プレイヤーがそれぞれそこに価値を感じ、メリットを享受できるような長期的なパートナーシップが必要である。本書では、新たな学問領域の扱う範囲やその背景となる問題認識のみならず、いかに成果のある研究を行いうるかという方法論についても議論されている。
  • S-Dロジック(サービス・ドミナントロジック)についてはちゃんと勉強しておきたいと思った。

Written by shungoarai

3月 4th, 2017 at 10:45 am