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[BookReview] 鈴木良隆 他『ソーシャル・エンタプライズ論』

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▼Week06-#01:鈴木良隆(編)『ソーシャル・エンタプライズ論』(有斐閣, 2014年)

感想:★★★★☆
読了:2017/02/11

第6週目の課題図書は、先週の課題図書に引き続いて一橋の経営学修士コースの講義をもとにした書籍で、もともと「企業家と社会」という科目での講義をまとめたもの(リンク:著者による解題)。編者が先週の図書の著者と一緒ということもあり、後半のいくつかの章(特に第10章「日本における企業の出現と社会」での日本企業の労働力の確保の仕方と、それによる労使関係に関する議論の箇所)は内容的にも重なる部分もありました。

上記のリンク先で著者が自ら書いているように、もととなった科目「企業家と社会」が講義されているときに発生した東日本大震災後のことが本書の内容にかなり色濃く反映されています。震災の復興の火急性によって日本においてもソーシャルエンタープライズ(社会起業)への眼差しが変わったと見ているであろう本書では、グラミン銀行(Wikipedia)や『Big Issue』(Wikipedia)といった世界的に見たソーシャル・エンタープライズ一般の話も取り上げつつ、日本におけるソーシャル・エンタープライズというテーマでうまくまとめた本だと思いました。

以下、メモ。

  • 欧米各国でソーシャル・エンタープライズが発生してきた経緯と、その議論をそのまま適用しにくい日本の状況とを、本書を通読することで整理できる。第6章「ソーシャル・エンタプライズのフロンティア」では、米国では1960年代後半以降の公民権運動・反戦運動・消費者運動・環境運動などによって企業に社会的責任が求められたことや、1980年代以降のレーガン政権下でNPOセクターへの予算が削減されたこと、また英国では1990年代後半の労働党政権によってソーシャル・エンタープライズが政策に組み込まれてきたことが背景として説明される。また、第9章「ソーシャル・アントレプルナーの源流」ではさらに遡って、ロバート・オウエン(Wikipedia)やサン=シモン主義(Wikipedia)といったところにまで源流を探っている。一方、「欧州各国における協同組合の発展や、雇用の主体としてのソーシャル・エンタープライズを位置づける議論の前提条件を、日本社会は必ずしも共有していなかった」(本書, p.30)。
  • いくつかの事例を挙げながら、本書では日本でのソーシャル・アントレプレナーシップの萌芽を好意的に見つつも、そのハードルもまたいろいろと挙げられている。人材もしかり、起業環境もしかりである。
    • 日本型雇用習慣のなかで、労働人口の大半を企業社会が独占していたことが、専門的な人材や労働力のパブリック・セクターへの流入を阻害した。畢竟、担い手は(企業社会からの安定した家計に支えられた)主婦と、現役を退いた高齢者中心にならざるをえなかった。(同, p.31)

    • 社会的包摂と雇用の担い手として、パブリック・セクターとソーシャル・エンタプライズを活用し、創業を積極的に促進してきた欧州や韓国とは異なり、ソーシャル・エンタープライズのみならず起業全般が低迷しているのが日本の現状である。(同, p.37)

    • 日本のソーシャル・エンタプライズは確実に多様性を増し、新規の創業も相次いでいる。だが、そもそも営利企業の起業も容易でない日本社会のなかで、社会領域を対象とした新しい主体が着実に成長軌道に乗ることができるかは未知数と言わざるをえない。(同, p.61)

  • 本書が特徴的であるのは、「ソーシャル・エンタープライズ」論でありつつも、それを通じて「企業」論となっている点だ。それはもともとが「企業家と社会」という講義として企図されたものだからであろう。序章と終章ではシュムペーターを引用しながら、「企業〔エンタープライズ〕とは『新結合』〔イノベーション〕を遂行することであり、あるいはそれを遂行する組織体のことである」(同, p.12)と強調される。ゆえに、ソーシャル・エンタープライズとは「従来の課題を、その解決の仕方を変えること」(同, p.260)であり、それは極めて技術経営的なテーマであると言える。

▼アントレプレナーシップに関する読書リスト

No.読了日評価書名著者名
12017/01/10★★★★☆『イノベーションと企業家精神【エッセンシャル版】』P.F.ドラッカー
22017/02/11★★★★☆『ソーシャル・エンタープライズ論』鈴木良隆 (編)
32017/03/04★★★☆☆『アントレプレナーシップ入門』忽那憲治, 長谷川博和, 高橋徳行, 五十嵐伸吾, 山田仁一郎
42017/03/17★★★☆☆『アントレプレナーの戦略論』新藤晴臣

Written by shungoarai

2月 12th, 2017 at 10:00 am

[BookReview] 鈴木良隆 他『MBAのための日本経営史』

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▼Week05-#01:鈴木良隆・橋野知子・白鳥圭志『MBAのための日本経営史』(有斐閣, 2007年)

感想:★★★☆☆
読了:2017/02/05

第5週目の課題図書は、一橋のかつての経営学修士コースで講義されていた「日本経営史」の討議資料をまとめたという本書。タイトルとは裏腹に、ビジネススクール的な内容というよりは、しっかりと研究書的で読むのには結構時間を要しました。

ことさら「日本経営史」と銘打っていたり、そもそも一橋のコースでの講義ということもあってか、日本の(どちらかというと)古くからの企業に勤めている方々が知っておくと良いかもしれない戦前から2000年代初頭(本書は2007年刊行)までの日本の産業史と、そこにおける「大企業」と「中小企業」というプレイヤーについてさまざまな角度から扱っています。通史的な内容もあれば、仮説を立てて検証をしていくという章もあります。

具体的なケースや他国との比較、通史的な内容を扱った各章については比較的読みやすかったものの、統計的な仮説検証や少し深掘りされた金融制度史に関する章は読みでがありました。難解な部分はとりあえず各章の章末のサマリーでキャッチアップはなんとかキャッチアップはしたものの、何度か読み返さないと理解できていない気がする。

以下、まとめや考えたこと。

  • 「大企業」と「中小企業」について一冊を通じて論じているが、本書ではそこに単純なヒエラルキーを見いだすのではなく、エコシステムのようなものを想定している。すなわち、「大企業と比較して規模の経済性を追求しない分野での分業を担い、経済環境の変化に耐える強靭性を備えていた」(本書, p.270)ことで存続しえた中小企業や金融機関などの「サブシステム(中略)さらには国の政策によって維持されたひとつの『体制』」(同, p.290)によって大企業の安定的地位は支えられていたと見る。「それは『市場経済』とは別の、一国的な経済の仕組みであった」(同, p.290)とあるように、本書中でも英独などの国々との比較をしながら、大企業の安定的な状態(本書では『大企業体制』と呼称)は普遍的ではないと論じている。
  • 「大企業体制」の特質として、「第一に、日本では、同一産業中の大企業が、規模において著しく異なってはいない。同じような規模の企業がいくつも併存している」(同, p.141)、「第二に、その製品構成、技術、市場においても、日本の大企業は同一産業内において互いに類似していた」(同, p.142)という二点を挙げている。著者は終章でこうした状況は終焉を迎えていると言うが、このややもすると同質的な戦略を取ってしまいがちなことはいまだに多いのではないかという気もする。日本企業のDNAレベルにそうした性質があるとすれば、それに対しては意識的である必要がある。
  • 本書では日本企業における雇用・労使についても詳述されている。それらは日本企業の「競争優位」の考え方とも表裏一体のように思われる。日本の産業の国際競争力については1章を割いて詳述されるが、「1970年代初頭から1980年代半ばにかけて一群の産業の分野の盛衰は(中略)労働コストの優位から価値連鎖におけるコスト優位へというコストの源泉の変化を示しているにすぎない」(p.258)という看破は秀逸で、この「コストによる差別化」以上に付加価値をつけていくことは生産性の観点からも、また昨今の「働き方改革」の観点からも重要。

Written by shungoarai

2月 6th, 2017 at 1:00 am

[BookReview] チェスブロウ『OPEN INNOVATION』

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▼Week04-#01:H. チェスブロウ『OPEN INNOVATION』(産業能率大学出版部)

感想:★★★★☆
読了:2017/01/26

第4週目の課題図書は、先週に引き続きハーバード・ビジネス・スクールのチェスブロウ教授の著書『OPEN INNOVATION(原題 “OPEN INNOVATION: The New Imperative for Creating and Profiting from Technology”)』。クリステンセン教授の『イノベーションのジレンマ』と並んで「新たな古典」としての地位・定評のある書物で、またとても平易に書かれた入門的な書でもあります。

本書は、大企業の企業内研究所主導による従来型の「クローズド・イノベーション」と呼ぶべきアプローチは現代に合ったものではないため、一社内で完結しない新たなアプローチ(=オープン・イノベーション)を指し示す一方、このアプローチは決して技術開発という閉じたコミュニティのみで議論されるべきではなく、「ビジネスモデル」と合わせて検討すべきだと示しています。

Xeroxの独占から脱出し、Ethernetを商品化したRobert Metcalfeによれば、これまでのイノベーションに対するアプローチは、大企業に独占を許すかわりに、大企業に基礎研究をしてもらうというものであった。
これは過去には正しかったかもしれないが、知識が普及した社会において、企業内に知識を閉じ込めて、その企業のビジネスに必要なときのみに使用するといった方法はもはや通じない。(チェスブロウ『OPEN INNOVATION』pp.202-3)

本書は以下のように構成されています。

構成内容
導入序章第2〜3章で詳述されるクローズド・イノベーションからオープン・イノベーションへの「イノベーションのパラダイム・シフト」を先取って説明。
問題提起第1章Xerox社の社内研究所「PARC(Palo Alto Research Center)」は、今日のPCやコミュニケーションを支える技術開発に大きく貢献し、またAdobeなど、スピンアウトして成功したベンチャー企業も輩出したが、Xerox社への利益には寄与しなかった。問題の所在を「イノベーションのマネジメント」に見る。

※キーワード:チェスとポーカー、テクノロジーとマーケットの双方の不確実性のマネジメント
歴史的背景第2章大企業の社内研究所によるイノベーション・プロセスである「クローズド・イノベーション」の成立背景を米国史の文脈から整理した後、社会やベンチャー企業を取り巻く環境の変容によって「研究」と「開発」との間のギャップが広がった結果、このアプローチが時代遅れとなっていったさまを説明する。

※キーワード:中央集権的・垂直統合的、規模の経済・範囲の経済
歴史的展望第3章前章の内容を受け、「アイデアは社外に豊富にあり、優秀な労働者も中途でいくらでも採用できる状況」下では新たなイノベーション手法が必要だと論じる。一方、「オープン・イノベーション」は社内の研究部門を不要とするということを意味するのではなく、その役割を変容させるという。

※キーワード:知識結合
別の視座の持ち込み第4章テクノロジーは、それ自体では価値を生まない。新しいテクノロジーを新しいマーケットに結びつけるにはビジネスモデルを必要とし、その追求こそが企業のマネージャーの仕事だと論じる。

※キーワード:支配的ロジック、テクノロジーに適合した正しいビジネスモデル
各社事例第5章IBMの事例。
1) オープンなテクノロジーによる顧客のビジネスのサポート
2) 知的財産権のライセンス
第6章インテルの事例。独自のテクノロジーを持たない企業の、イノベーションのマネタイズ方法。
1) 専門特化型の研究活動
2) 大学や外部研究所とのネットワーク、資金提供による成果へのアクセス
3) インテル・キャピタル
第7章ルーセントの事例。社内の知識を市場化する方法。
- NVG(社内ベンチャーキャピタル)によるテクノロジーのビジネス化
知財戦略第8章オープン・イノベーションの世界では、自社の知的財産権を自社で利用するということにとどまらず、他社にライセンスすることで自社内で活用されてない知的財産権から利益を上げることもできる。
いずれの場合も、知的財産権の価値はビジネスモデルに依存するため、テクノロジーにとって有効なビジネスモデルを探すことが重要。
結び(実行戦略)第9章社内でオープン・イノベーションを起こすための方法。
(表:チェスブロウ『OPEN INNOVATION』の全体構成)

 

以下、ざっくりと感想です。

  1. 各社の事例を挙げてはいるものの、全体的にはマクロ・一般的な「イノベーションのあり方」論とその移ろいについて書かれた書物であり、潮流を理解するための本。それゆえに「技術経営」ジャンルの本流とも言える。
  2. 一方、概説的なので、最終章(第9章)を除くと実務的ではないかもしれない。実務家がアクチュアルに捉えることができるとしたら、自社が「クローズドイノベーション」型のプロセス・アプローチを選好する企業である場合は危機感を提示してくれたり、その打開方法を案内してくれるであろう。そういう意味でも、本書は大企業の人に向けたものになっているように思う。
  3. 関連書籍:
    • 本書でも著者が批判を加えている企業の「中央研究所」の日本でのあり方や、日本での事例を取り上げて解説しているものには榊原清則『イノベーションの収益化』(有斐閣, 2005年)がある。
    • 前述の通り、本書はすぐれて「ビジネスモデル」について論じた本である。「オープン・イノベーション戦略」が奏功する場合の所与の条件として「補完材」の有無による違いなどを挙げていることからは、ガワー&クスマノ『プラットフォーム・リーダーシップ』(有斐閣)もまた参考になろう。

 

Written by shungoarai

1月 28th, 2017 at 12:00 am

[BookReview] クリステンセン『イノベーションのジレンマ』

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▼Week03-#01:C. クリステンセン『イノベーションのジレンマ(増補改訂版)』(翔泳社)

感想:★★★★★
読了:2017/01/22

第3週目の課題図書は、ハーバード・ビジネス・スクールのクリステンセン教授の名著『イノベーションのジレンマ(原題 “The Innovator’s Dilemma – When new technologies cause great firms to fail”)』。書名は広く知られているものの、きちんと読まれたことのない本の代表格であるようにも思います。邦訳書 巻末の「解説」にも書かれているように、本書はクリステンセン教授の先行するさまざまな論考をもとにまとめあげられており、それらの一部はビジネススクールでの教科書として定評のある『技術とイノベーションの戦略的マネジメント(原題 “Strategic Management of Technology and Innovation”)』(邦訳書)にも収められています。

身の回りで本書が言及される場合、「旧来の大手企業(かつてイノベーションを成し遂げた企業)は、自らの収益性を保たんがために、新たな破壊的技術を市場にもたらす新規参入企業に対する有効な手を打つことができず衰退する」という運命論的なアウトラインのみが語られることが多いように思います。しかし、実際の本書では、前半で「イノベーターのジレンマ」(多くの人が本書に対してイメージしている内容)をいくつかの事例を通じて一般化をしたのち、後半半分は「では、それに対して旧来の大手企業はいかに『破壊的イノベーション』に対処すべきか」について細やかに書かれています。

本書は以下のように構成されています。

内容
第一部「優良企業が失敗する理由」優良な経営を行なう大手企業は破壊的イノベーションに直面したとき「イノベーターのジレンマ」と呼ぶべき状況に陥り、業界リーダーの座から転落するという傾向をさまざまな業界の例を見ながら導く。
第1章ディスクドライブ業界のイノベーションの歴史を概観しながら、既存の大手企業が従来の大手顧客に縛られる形で持続的イノベーションを進めていくなか、新規企業が技術的には簡単な「破壊的イノベーション」によって下位市場へと参入し、次第に上位市場へと進行するパターンを見いだす。
第2章存の大手企業が前章に見るような失敗を犯す理由として、従来語られる「組織の官僚化によるリスク回避傾向(企業文化)」や「抜本的新技術には全く新しいノウハウが必要」といった理由ではなく、「バリューネットワーク」という概念での説明を試みる。
ここでは、第1章に見たディスクドライブ業界のなかでも、5.25インチドライブから3.5インチドライブへのシフトに手こずったシーゲート・テクノロジー社の例を見ながら、破壊的イノベーションに邂逅した際の大手企業の意思決定パターンを解説する。
第3章別の業界(掘削機業界)での例をもとに、ディスクドライブ業界から見出されたパターンの一般化を図り、善良な経営者による安定経営のパラダイムは、破壊的技術を扱うには役に立たないことを示す。
第4章バリューネットワークの考え方(特にコスト構造)をもとに、既存の大手企業は下位市場を狙った破壊的イノベーションへの資源配分を行なうことができないことを、1.8インチディスクドライブや鉄鋼業界におけるミニミルを例に示す。
第二部「破壊的イノベーションへの対応」第一部で示された「イノベーターのジレンマ」に対して、いかに既存の大手企業が対処しうるかを論じる。
第5〜9章第二部の冒頭で示される、破壊的技術に直面・失敗した企業の5つの原則ひとつづつに対して、各章で対処策を挙げる。
第10章第一部の「イノベーターのジレンマ」仮説と、第5〜9章で挙げたアプローチをもとに、架空のケース(電気自動車技術への参入)における意思決定をシミュレートする。
第11章まとめ
(表:クリステンセン『イノベーションのジレンマ』の全体構成)

 

以下、ざっくりと感想です。

  1. 上にも書いたように、本書は単なる運命論の本ではなく、いかに危機をもたらしうる状況に対して対処すべきかという問題に対して現実的な処方箋をも提示している(その意味で、巻末の解説にあるとおり「『学問的厳密性と実用的応用性』を両立した希有な書物」という評は、当を得ている)。
  2. 本書のなかでも、とりわけ第2章(「バリュー・ネットワークとイノベーションへの刺激」)と第9章(「供給される性能、市場の需要、製品のライフサイクル」)の2つの章は、とりわけ熟読に値すると感じた。
    • 第2章の重要な部分は「バリュー・ネットワーク」として提示される概念そのものである。ある製品を構成するさまざまな部品の一切合財を含めた「入れ子構造になった商業システム」(クリステンセン, p.66)のことである。この考え方が重要なのは、この章以降の本書では「各バリュー・ネットワークのコスト構造は、どのようなイノベーションが利益に結びつくと企業が考えるかに、多大な影響を与える」(同, p.71)という原則を前提とするからである。
    • 第9章で重要なのは、「破壊的イノベーション」の生まれる経緯と、その後の見通しを簡潔にまとめている点だ。この認識は、技術企業で製品を考える上で(自社の製品や他社の製品はいまどのステータスにあるのか)非常に助けになると思う。
      • 〔大手企業の〕技術者は、市場が必要とする以上の、あるいは市場が吸収しうる以上のペースで性能を高めることができた。歴史的にみて、このような性能の供給過剰が発生すると、破壊的技術が出現し、確立された市場をしたから侵食する可能性が出てくる。(同, p.247)

      • 一般に、ある特性に対して求められる性能レベルが達成されると、顧客は特性がさらに向上しても価格プレミアムを払おうとしなくなり、市場は飽和状態に達したことを示す。このように、性能の供給過剰は競争基盤を変化させ、顧客が複数の製品を比較して選択する際の基準は、まだ市場の需要が満たされていない特性へと移る。(同, 251-2)

  3. 本書の優れた点は、「イノベーション」や「破壊的技術」を技術的な問題ではなく、より一般的に捉えていることで、それゆえ「技術企業」以外(本書中で触れられている例としては、ウォルマートなどの小売業)にも適用しうるものとなっている点である。破壊的イノベーションを製品化し、その提供価値に適合した市場・顧客を見つける試みはすぐれてマーケティング上の課題だ。また、組織内での意思決定に関する考察の部分では、従業員というものが結果・業績によって「評価を受ける」人びとであるということに留意し、そのために合理的な判断をする(非合理的な選択肢を排除する)ということを前提に置いている点は、企業の経営・マネージメントに関与している者にとっては学びが大きい。
  4. そういえば、以前読んだ(内容はだいぶ忘れた)任天堂のゲームクリエイター 横井軍平氏によるフレームワーク「枯れた技術の水平思考」というのは、本書で「新技術はいらない。それはむしろ、実証済みの技術からできた部品で構成され、それまでにない特性を顧客に提供する新しい製品アーキテクチャーのなかで組み立てられる」(同, p.285)と言われる「破壊的技術」のことに他ならないのかもしれないと思った。

Written by shungoarai

1月 22nd, 2017 at 3:30 pm

[BookReview] カーツワイル『シンギュラリティは近い[エッセンス版]』

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▼Week02-#02:R. カーツワイル『シンギュラリティは近い – 人類が生命を超越するとき[エッセンス版]』(NHK出版)

感想:★★★★☆
読了:2017/01/15

第2週目の2冊目は、未来学者レイ・カーツワイルの『シンギュラリティは近い』。2005年に出版された “The singularity is near”(邦訳『ポスト・ヒューマン誕生』, 2006年)のエッセンス版。一冊を通して扱う技術的特異点(シンギュラリティ)とは、「われわれの生物としての思考と存在が、みずからの作りだしたテクノロジーと融合する臨界点であり、その世界は、依然として人間的ではあっても生物としての基盤を超越している」(『シンギュラリティは近い』p.15)と説明されています。コンピュータの計算能力の飛躍的な向上がさらなる技術革新の速度を速めていき、脳と機械が接続されたり、ナノボットテクノロジーによって人間の身体・脳の能力が強化(enhanced)された結果としてシンギュラリティ=「人間の能力が根底から覆り変容するとき」(同, p.107)へ2045年頃に到達すると予測している本です。

10年ほど前に原書『ポスト・ヒューマン誕生』(邦訳)を読んでいた際も難解に感じていた箇所――たとえば、本書の第三章にあるような物質のコンピューティング能力のくだり(「岩はどれくらい賢いか」p.97 等)や、第四章の人間の脳の構造のリバースエンジニアリングに関する細部、終盤近く第六章での「シンギュラリティ」到来後の哲学的議論など――は、10年経ったいまでも難解で、3割程度も理解できたかどうかわかりませんが、本書は「進歩は指数関数的に成長する」という原則に沿って書かれているので、そのことを念頭に置いて各分野でどのようなことが起きるかを予測した第五章を読むことで、だいたいのアウトラインは掴めます。

以下の点について学びや気付きがありました。

  1. 技術進歩のスピード予測についてわれわれは保守的になりがち。これはシンギュラリティについてばかりでなく、より身近な領域(仕事で触れる技術など)でも同様であって気をつける必要がある。啓蒙時代のヨーロッパの知識人間で巻き起こった「新旧論争」でよく使われた表現のとおり、われわれは「巨人の肩の上」(Wikipedia)にいるわけで、つまるところ現在の技術革新のスピードは、これまでの蓄積を利用できるために、過去の革新のスピードよりも速いはずなのである。
    • 人はたいてい、今の進歩率がそのまま未来まで続くと直感的に思い込む。長年生きてきて、変化のペースが時代とともに速くなることを身をもって経験している人でさえ、うっかりと直感に頼り、つい最近に経験した変化と同じ程度のペースでこれからも変化が続くと感じてしまう。なぜなら、数学的に考えると、指数関数曲線は、ほんの短い期間だけをとってみれば、まるで直線のように見えるからだ。そのため、識者でさえも、未来を予測するとなると、概して、現在の変化のペースをもとにして、次の10年や100年の見通しを立ててしまう」(p.18)
  2. カーツワイルはシンギュラリティが引き起こしうるデフレや、人間の「強化」について楽観的であるようだが、特にシンギュラリティの初期にあってはそのコストの高さから、強化ができる人・できない人の差が生まれるように考える。大きな格差が生まれることについて覚悟する必要があるように思う。
  3. 英オックスフォード大 マイケル A. オズボーン准教授の2013年の論文「雇用の未来 – コンピューター化によって仕事は失われるのか」(The future of employment: How susceptible are jobs to computerization?, PDF)を発端にして、各種メディアで「あと10年でなくなる仕事」が話題になった結果、さまざまな専門職において「単純作業はAIに任せて、より付加価値の高い業務(コンサルティングなど)にリソースを割いて生産性を高めよう」式の議論がなされているが、これは技術の進展のスピードを甘く見積もっているように思う(上記1で挙げた「直線」的な変化として捉える認識に寄りすぎている)。おそらくは、その付加価値が高く、クリエイティブな業務もAIに代替されていこうというなかで、いかにAIをうまく業務に取り込んでいき、サバイブしていくかを考えていく必要がある。


Written by shungoarai

1月 15th, 2017 at 9:31 pm

[BookReview] ドラッカー『イノベーションと企業家精神[エッセンシャル版]』

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▼Week02-#01:P.F. ドラッカー『イノベーションと企業家精神【エッセンシャル版】』(上田惇生訳, ダイヤモンド社)

感想:★★★★☆
読了:2017/01/10

第2週目の1冊目は、ドラッカーの名著。しかし、完訳版は結構な分量なので、まず一巡目は「エッセンシャル版」でショートカットしてしまいました。それでもかなり濃い内容になっています。

本書の趣旨は、いかに「イノベーション」という営みをサイエンスし、きちんとマネジメントできる(つまり企業活動へと適応させる)かということ。原題は “Innovation and Entrepreneurship” となっていますが、「アントレプレナーシップ」とはいうものの、けっして起業家・創業者に絞ったようなテーマを扱っているわけではなく(特に第2部で扱っているように)ベンチャー企業のみならず、民間の既存企業やあるいは公的機関すらもその扱う対象として含め、いかに新たな事業を仕立てるかを体系的に考察しています。

「イノベーションの機会」を扱った第1部(「7つの機会」を順に挙げて考察しています)もさることながら、企業の管理職の視点からは、イノベーションのマネジメントを扱った第2部と、どういう戦略を取るべきかを概観した第3部にとても学びがあると感じました。

この書籍のよいのは、単にきれいに整理をするに終わらずに事例を挙げ、特徴・前提・条件・制約などを検討しているところです。そして、章立てもまた各章内の論理構造もかなり明解なので、読みながら迷子になったりしません。座右に置いて折りに触れ読みたい本だと思いました。だからKindleで購入したのは正解。

「イノベーション」や「企業家精神」を「仕事」と断じ、よくあるように「才能やひらめきなどの神秘的なもの」とすることなく、あくまで企業活動の範囲内にある(むしろそうあってこそ事業として成功しうる)と描いた本書は、実践家にとってとても役立ちそうです。

▼アントレプレナーシップに関する読書リスト

No.読了日評価書名著者名
12017/01/10★★★★☆『イノベーションと企業家精神【エッセンシャル版】』P.F.ドラッカー
22017/02/11★★★★☆『ソーシャル・エンタープライズ論』鈴木良隆 (編)
32017/03/04★★★☆☆『アントレプレナーシップ入門』忽那憲治, 長谷川博和, 高橋徳行, 五十嵐伸吾, 山田仁一郎
42017/03/17★★★☆☆『アントレプレナーの戦略論』新藤晴臣


Written by shungoarai

1月 11th, 2017 at 2:00 am

[BookReview] M. レビンソン『コンテナ物語 – 世界を変えたのは「箱」の発明だった』

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▼Week01-#02:M. レビンソン『コンテナ物語 – 世界を変えたのは「箱」の発明だった』(村井章子訳, 日経BP社)

感想:★★★★★
読了:2017/01/08

地元の駅では、普段使う在来線の電車と同じ線路の上を貨物列車が走っていて、幼い頃から石炭やコンテナを運ぶ列車をよく眺めていたので、「コンテナ」というものは親しみがあるというか、少なくともずっと昔からあるものだと思っていましたが、そうではなく、その歴史はまだ60年程度。本書は、その「コンテナ」の歴史とそれがもたらした影響を丁寧に描いた書物。

構成は、コンテナの発明に至るまでの海運業の前史と、マルコム・マクリーンという天才的起業家の起こした発明について記述した前半に続き、後半ではコンテナリゼーションがもたらしたロジスティクスの変化や、物流産業にとどまらないグローバル化への影響について詳述しています。

マルコム・マクリーンがすぐれて先見的だったのは、海運業とは船を運行する産業ではなく、貨物を運ぶ産業だと見抜いたことである。(中略)輸送コストの圧縮に必要なのは単に金属製の箱ではなく、貨物を扱う新しいシステムなのだということを、マクリーンは理解していた。港、船、クレーン、倉庫、トラック、鉄道、そして海運業そのもの――つまり、システムを構成するすべての要素が変わらなければならない。(レビンソン『コンテナ物語』p.80)

この「物語」という邦題がつけられた書物は、あるアントレプレナーが起こしたイノベーションの物語としても面白いながらも、以下の点で示唆に富み、アクチュアルな問題を考える上で参考になるように覚えました。

  • イノベーションがその先にどのような未来を生み出すかは、発明した当事者ですら正確に予測することは難しい。最後部の第13〜14章で扱われているように、コンテナリゼーションは単に海運業や輸送業界に効率化・低コスト化をもたらしただけでなく、メーカー・小売業がグローバル・サプライチェーンを構築することを用意した。本書中でも触れられるようにトヨタに代表される「ジャストインタイム方式」の実現の背景にロジスティクス要素が整ったことの影響は大きい。そして、この状況は現在の企業活動のグローバル化へとつながっている。
  • 上記のようにメーカー・小売業などの他産業(物流業にとっては顧客となる「荷主」)へと広範な影響がおよんでいくより前に、無論、イノベーションは業界内での勢力図というか、プレイヤーの役割・重要度に変化を与える。本書では、従来船主にとって荷揚げに不可欠だった港湾労働者(沖仲仕)への影響や、港湾整備への影響が詳述される。戦略の概説書などによく現れるような「5つの力(five forces)」を生々しく理解するうえで、一連の各章の記述は非常に参考になる。
  • 上での引用箇所にあるように、「コンテナリゼーション」とは、単なる金属の箱の発明ではなく、それをコアとした一連のシステムの発明であった。この観点からは、「コンテナの規格化」論争などを扱った各章の記述は、例えばガワー&クスマノのプラットフォーム論と対比して読むことも興味深かろう。
  • こと、労働組合と船会社との交渉についてまるまる割かれた第6章は、非常にアクチュアルに読み直すことができるかもしれない。つまり、昨今言われているAIによる人の作業・労働の代替(が起きる可能性)とは、コンテナリゼーションが港湾労働者から仕事を奪っていったことと類似的である。興味深いことは、必ずしも港湾労働者はすべての機械化に抗していたわけではないことである。
    • 機械化が導入され『現場ルール』が姿を消すと、1960年まで20年間ずっと横ばいだった労働生産性は大幅に上昇する。(中略)とはいえ組合の予期に反し、こうした大幅な効率改善に貢献したのは機械化ではなく『汗』だった。(中略)その結果、じつに珍妙な現象だが、労使の立場は逆転する。組合は重労働をすこしでも楽にしようと『早く機械化を進めろ』と経営側に注文をつけるようになったのだ」(同, pp.161-2)

以上のように、読むのに時間がかかる書物ながら、それ以上に考えるテーマやヒントを与えてくれる良書でした。忘れた頃にまた読みたい本です。


Written by shungoarai

1月 8th, 2017 at 7:00 pm

[BookReview] 永野健二『バブル – 日本迷走の原点』

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今年は計画的に読むべき本を読もうと、ひとまず3月末までの各週に読むべき本をリスト化してみました。そのリストに沿って、毎週2冊程度のペースでコンスタントにインプットしていきたいと考えています。


▼Week01-#01:永野健二『バブル – 日本迷走の原点』(2016.11, 新潮社)

感想:★★★☆☆
読了:2017/01/05

年末年始休みの後半に読み出したのは、バブル期の経済事象を日本経済新聞 証券部の記者として追っていた著者による80年代バブル経済を振り返った本から。話題作となった『住友銀行秘史』と前後して、約20年を経てこの時期に「バブル」をテーマとした書籍の出版が相次いだのは、長期化する現政権下での経済政策にバブルの萌芽が見られることへの警戒感によるものからでしょう。

住友銀行の元取締役によって書かれたイトマン事件の顛末に関する前掲書が当事者による定点記録であるのに対して、永野氏の『バブル』は元記者による書籍らしく、バブル期のさまざまな挿話をもとに構成された書物。

山一證券破綻、NTT上場、リクルート事件、イ・アイ・イや尾上縫、イトマン事件など、取り上げられるひとつひとつのエピソードはけっしてバラバラではなく、戦後から70年代まで日本経済を動かしていたシステムが変化しそこねたひとつのストーリーの諸相として提示されています。

すなわち「資金不足のもとでの金融の傾斜配分と、資源不足のもとでの産業の傾斜生産」(p.20)という前提で復興・経済成長を担った興銀を頂点とした金融機関が構造改革を先送った歴史として読むことができます。

…[引用者補:85年のプラザ合意以後]日本のリーダーたちは、円高にも耐えうる日本の経済構造の変革を選ばずに、日銀は低金利政策を、政府は為替介入を、そして民間の企業や銀行は、財テク収益の拡大の路を選んだ。そして、異常な株高政策が導入され、土地高も加速した。

その大きなツケを支払う過程が、「失われた20年」といわれる、バブル崩壊から現在まで続くデフレ状況である。アベノミクスというのは、80年代のバブルの時代の失政を償うための経済政策でもあるのだ。(永野『バブル』p.261)

いまだにまだ日本は「80年代バブル後」を生きているままであること、またその総括を十分にせず無自覚なまま次なるバブルへと足を踏み入れかけていることを考えさせられる一冊。


Written by shungoarai

1月 8th, 2017 at 5:00 pm

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[BookReview]峯村健司『十三億分の一の男 – 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争』

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東洋経済オンラインの「今週のHONZ」の記事で目にして気になったので、すぐ書店で買い求めて読了。取材で得た生々しい情報が読みやすい筆致で書かれていて、読み始めるとラストまで一気に読み進められました。

朝日新聞の特派員として北京で6年半を過ごした筆者は、

権力闘争こそが、中国共産党を永続させるための原動力なのではないか――。(略)
こうした見方をすると、習の評価も変わってくる。過去に例のない激しい闘争の末に誕生したからこそ、共産党にとっての最大の正統性を持ち、歴代の指導者よりも権力基盤をより早く強固なものにすることができたと言える。(pp.7-8)

という見方をしながら、「トラもハエもたたく」という習近平が進めている汚職摘発と、その裏側にある権力闘争の真実を描いています。

薄煕来や周永康の汚職事件の背後にあるより巨大な事件については、本書の第八章以降に譲るとして、私が本書を通じて興味深く思ったのは、習近平の (1) トップに上り詰めるまでと、(2) トップに上った後の権力基盤の確立過程です。

前者については、第七章で李克強とのトップ争いが詳述されています。1997年の第15回党大会で「中央委員候補」に当選した習近平(当時 福建省副書記)は、中央委員候補151名中151番目。後に一騎打ちをすることになる李克強(当時 共青団第1書記)は、すでにこの時点で中央委員に選出されていて、大きくリードしています。

「常にトップを走ってきた李克強がなぜ、一時は党幹部の中で最下位だった習近平に大逆転されたのだろうか」(p.230)という問いを立てる筆者は、以下のように考察しています。

圧倒的落差

  • 出世競争が厳しい中国共産党内においては、トップに近づけば近づくほど、反発や批判を受けやすくなる。仮に100人のライバルの中でトップになった瞬間、追い落とそうとする99人から攻撃の標的となるのだ。(p.230)
  • スロースタートでゴールまで最も遠かったダークホースは、最後の一騎打ちに向け、しっかりと脚をためていた。ピラミッドの頂点を目指すためのさまざまな下準備をしていた。(p.231)

性格の違い

  • 経済学の修士と法律学の博士を持ち、弁も立つ李だが、党内での人気が必ずしも高いわけではない。特に長老たちの評判が芳しくなく、党内選挙でも批判票を重ねる結果となった。前出の北京大の同窓生、王軍濤は「大学時代から論客だったが、相手を論破し過ぎて煙たがられることもあった」とも指摘する。(p.233)
  • 李との能力の差は明らかなように見える。だが、前出の閣僚級幹部経験者を親族に持つ党関係者の見方は、私とは異なる。「おまえの言うように李克強の方が個人として有能なのは確かだが、同じくらい頭脳明晰な党員は、我が党にはいくらでもいるんだ。最高指導者にとって最も重要なのは、そのたくさんの優秀な党員たちをまとめ上げていく『団結力』なんだ。(pp.233-4)

また、後者に関しても第九章ほか、至るところで触れられています。前任者であった胡錦濤は、その前任者であった江沢民に権力を握られ続けたことによってリーダーシップを発揮することができなかったのに対し、習近平はトップに上ると同時に手を打ちます。

「私は三つのステップで権力をつかもうと思っている。まず、江沢民の力を利用して胡錦濤を『完全引退』に追い込む。返す力で江の力をそぐ。そして、『紅二代』の仲間たちと新たな国造りをしていくのだ」

私は第18回共産党大会が終わった2012年末に、習近平が語ったというこの言葉をある中国政府幹部から聞いた。習がこの年の夏ごろ、親しくしている「紅二代」の党幹部に打ち明けた秘策なのだそうだ。(p.294)

本書に描き出された習近平の権力掌握過程の苛烈さを理解すると、先日の日経電子版の記事「誰も信じられない 国家主席を悩ます刺客の影」(2015年5月20日)の内容もよりリアルに感じられます。

ひな壇の中央に座る習。彼が会議中に飲むお茶用の蓋付き茶わんは、着席する直前に単独で運ばれてくる。(略)この日、女性スタッフの動きをじっと見つめる鋭い視線があった。2人の黒服の男性要員が左右から監視したのだ。女性スタッフの一挙手一投足も見逃さないというように。

こうした男性要員が、目立つ形で登場したのは今回が初めてだ。会議の途中、着席している「チャイナ・セブン」が飲む茶のわんに、後ろから湯を足す役割も、これまでの女性スタッフではなく、男性要員が担った。彼らには、お茶のサービスだけではない特別の任務があった。

「毒を盛られないように始終、監視する役割だ。万一、壇上に暴漢が現れても訓練された男性なら対処できる」

北京の事情通がささやく。男性要員は身分を隠しているが、習らに極めて近い信頼できる人物である。逆に見れば、お茶くみの女性といえども今の習には信用できない、ということになる。大量に捕まえた軍、公安・警察などの関係者が紛れ込んでいる可能性を排除できないのだ。

Written by shungoarai

5月 24th, 2015 at 7:32 pm

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[BookReview]中川右介『悪の出世学 – ヒトラー・スターリン・毛沢東』

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20世紀を代表する独裁者3人 ――ヒトラー・スターリン・毛沢東―― について、いかに競争・抗争を勝ち抜いて権力を奪取したのかという視点から描いた著作。現実離れした感のある内容をアクチュアルに切り取った作品だと思います。「はじめに」に書かれた以下の部分を読めば、それがアクチュアルな問題であることがわかります。

三人は叩き上げという共通点はあるが、組織内のスタートの位置はそれぞれである。毛沢東は創立メンバーのひとりだったが、失脚し左遷されたながらも、復権する。ヒトラーは創立メンバーではないが、まだ組織が小さい頃に加わり、出世していった。スターリンは巨大組織の末端から、出世していった。
彼らは二十世紀の著名な革命家・政治家であるが、三人とも、現代でいえばベンチャー企業の創業期からのメンバーだ。いまのベンチャー企業のほとんどはIT革命という技術革新を背景に生まれた。三人はいずれも皇帝の支配する国に生まれ、その帝政を倒して民主主義、さらには社会主義へ変革する政治革命の時代に生きた。その革命期に、少人数で始めた組織が巨大化していったのである。
したがって、本書は三人の権力者の出世物語でもあるが、二十世紀史の一断面であり三つのベンチャー企業の成長物語でもある。

本書では、

スターリンの基本戦略

  • 組織のために自分の手を汚す
  • 人の弱みを握り利用する
  • 情報を集める
  • 誰も信用しない

といった具合に、扱う3人の生涯(トップに上り詰めるまでの前半生)を概観しながら、様々な局面での振る舞いを「出世」という切り口で評しています。

ただ、これを単に「出世のためのアプローチ」としてのみ読むのはもったいない気がします。この3人は権力を得るために人を利用し、組織のプロセスを利用していくわけで、裏返せば、人の感情や、組織のプロセスが陥りやすい罠のチェックリストとしての読み方も可能でしょう。

プロセスを熟知し、それを逆手にとって権力を手中にするというテーマについては、より緻密な調査に基づいて書かれた『策謀家チェイニー 副大統領が創った「ブッシュのアメリカ」』も良書。こちらはジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領を務めたディック・チェイニーを扱った書籍ですが、刊行直後にチェイニー自身もしっかり読み込み、講演会で「同意しないくだりもいくつかあるが、著者は『ちゃんと調べている』と評価した」(訳者あとがき)という労作。

Written by shungoarai

6月 1st, 2014 at 8:26 pm

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